10月13日(日) Death Valley ・ Grand Canyon

Death Valleyley ・ 2

暗黒の一夜あけて、かつてなく日の光が有り難いと思えた旅行2日目。
「夜が明けたよー」
「明るいよー」
「荷物も見えるよー」
と些細な事に感激しながら午前7時、部屋の外に出てみた。

テラスの朝御飯。気持ちいいねぇ……

夜が明けてみると、電気がつかないことなんて大したことのない事のように思えてくる。テラスでは従業員の皆様が煙草ふかしながら休んでいて、「朝御飯、食べられるの?」と聞いてみたらば「7時半からよ」という答えが返ってきて、そのへんをぷらぷら。

朝食は、ごくごく簡単なブッフェスタイルのものだった。
四角いポソポソとした食感のパン(多分、とうもろこしのパン)や、砂糖たっぷりのデニッシュ。あとは自家製っぽい、青葱を散らしたスクランブルエッグに、大ぶりに切った野菜たっぷりのハッシュドポテト、カリカリベーコン、ソーセージ、など。細かく切ったソーセージをマッシュポテト状のクリームソースで和えた少し塩辛いペーストなんかもあった(←これは、パンにつけて食べている人が多かった)。あとは、メロン、シリアルなど。

各自、紙皿に適当に盛りつけて、適当な席に座って食べる。飲み物はコーヒーと紅茶、オレンジジュース。シリアルのコーナーから牛乳を入れてきて、ミルクティーにして飲んだ。屋外の芝生の席で陽光に当たりながらのんびり朝御飯。9時前に宿を出発し、今日はじっくりデスバレー見物だ。

ところで、このアメリカ西部旅行を始めた途端、唇がパリパリに乾き始めた。テネシーにいる間は"日本よりちょっと乾燥しているけれど"くらいの湿度だったのだけど、こちらの空気の乾きっぷりときたら温暖湿潤気候に慣れている日本人にはちょっときつい。唇パリパリ、肌はカサカサ、私はスキーに行った時くらいしかリップクリームのお世話にはならない頑健な唇を持っていると思っていたけれど、あっという間にリップクリームが手放せなくなった。バッグの一番出しやすいところにしまっておいて、数時間おきにぺたぺたつけないとすぐにパリッパリになってしまう。
結局、旅を終えてテネシーに帰って2日して、やっと完治したのだった。
奥の方までトレイルしている人もいました

Sand Dunes (砂丘)

今日はうんざりするほどの青空。夏には50℃を越えるこの地は、10月でも上半身裸になってしまいたいほど(実際なっていた人もいたほど)温かい。
起伏のある道をデスバレー中心あたりに向けて走っていくと、道路から200mほど奥まったところに砂丘が見える。広大な広大なデスバレーの広さに目が慣れてしまうと、それほど大きな砂丘には一見見えない。が、砂丘に向けてのびているトレイルを数百メートルも進むと、けっこう大きな砂丘なのだと理解できた。白い砂はサラサラと細かく、朝のうちなのでひんやりとしていた。ずるずると足が取られてしまうので歩くにはかなりしんどそう。

本当にマスタード色だったのに、ちょっと笑いが

Mustard Canyon (マスタード・キャニオン)

公園でもらったマップに「Mustard Canyon」の文字を見て、
「もうすぐ、そういうスポットを通るらしいよー」
と運転席のだんなに伝えてすぐ、見事なまでに真っ黄色の丘に車は進んでいった。その黄色の山(山というよりは丘、という程度の可愛い高さ)を見下ろす小高い丘には「Harmony Borax Works Interpretive Trail」なるものが。昔のものらしき建造物も見えたので、車を降りて1周200m程度の道を歩いてみた。

金やその他の鉱物をはじめ、"White Gold of the Desert"と言われる「Borax」(硼砂=ホウ酸ナトリウムの結晶)なるものがこの地で採れていたのだそうだ。採掘のための設備の名残と、馬車などがそこに残されていた。

小高い丘からはマスタードキャニオンがよく見える。陽光が当たると黄色みが増し、ますます"マスタード"という感じ。


おっそろしいほど高いところから見下ろす展望台だった
Zabriskie Point (ザブリスキー・ポイント)

ビジターセンターをはじめ、ロッジやキャンプ場があるデスバレーの中心部「Furnace Creek」を北から南に通り抜けて少し東に行ったところにあるのが「Zabriskie Point」だった。その名のとおり、ザブリスキーさんが見つけたナイスなスポット、ということらしい。

車を駐車場に止めてから、急な坂を上ること200mほど。山々を下に見下ろすそこは、岬のように突き出ていた。なかなかの絶景……というか、高所恐怖症の気がなくてもちょっと足の裏がぞくぞくしてしまう高さだ。息子ときたら、「そっちはこわーい」と展望台の中央付近から動けなくなってしまっている。

黄色(日の具合によっては黄金色にも見える)と白と茶色の地層は地面と平行ではなく、垂直に近いほどに斜めになっていた。山肌は全て斜めのストライプに模様づけされているように見える。
「絵はがきみたい」などという陳腐な感嘆の言葉があるけど、そんなもんじゃなかった。写真なんかじゃ表現できない美しさの景色で、後になってデジカメの画像を見てがっかりした程だ。


もっと色々な色が肉眼で見えたはずなんだけど、
Artists Palette (アーティストのパレット)

ここも「デスバレー名所」の1つ。一方通行になっている数マイルの道路(荒れてはいたけど、一応舗装道路)を進んでいかなければならない場所にある。
「名所の1つの一方通行の道路があるんですが」
とだんなに伝えると、
「よし行こう絶対行こうすぐ行こう」
と"そこがどういう場所なのか"も聞かずに承諾された。後になって聞くと、
「一方通行にしかできない道路なんて、面白そうなものに決まってるじゃない」
とのこと。なるほどなぁ、と思いつつ車を進めてもらうと、本当に面白い道だった。

両側にそびえ立つ崖の間を通ってみたり、"ジェットコースターじゃないんだから"と思えるほどの急な坂道を下ってみたり。うねうねくねくねと続く細い1車線の道を行くと、「Artists Palette」に到着した。

山肌の基本の色は、黒っぽい焦げ茶や白茶など。その山肌に緑だの紫だの赤だの白だのの色が地層の筋とは違う、ちょっと無造作な感じで散らばっている。絵の具を乗せたパレットに例えられているのになるほどなぁ、と思う。

スポットの前にあった看板の説明によると、赤とピンクと黄色は鉄塩、緑色は雲母片、紫色はマンガンによって引き出されているのだとか。じっくり眺めると、その全ての色が目の前の岩肌にくっきり出ているのだった。面白い。


このすぐ横には純白の塩の湖があるというのが不思議
Devils Golf Course (悪魔のゴルフコース)

「こんなところでゴルフをするのは悪魔くらいだ」という理由からなのかどうか、ここは悪魔のゴルフコース。舗装されたメインストリートから数百メートル無舗装の道を進んで現れる光景で、見渡す限り岩が転がる不毛の地。この岩は、塩の塊だそうで、近づいてよく見ると尖った白い結晶が表面の黒い土(というか砂というか細かい石というか)の下にみっしりと詰まっているのが見える。岩塩が割れた断面は刃物のように鋭くなっていて、「この中に入る時は転ばないように気をつけて!」という看板がいくつか立っていた。

塩だというので、えぐれた白い部分に指をつっこんだ後、その指を舐めてみた。
「にがりたっぷり、という感じですね」
「天然塩ですね」
と、すっかり料理人の風情でコメントを交わしたりしている私とだんな。苦みの強いザラリとした印象の塩の味だった。


奥まで歩くと、ますます綺麗
Bad Water (バッド・ウォーター)

Devils Golf Course を少々南下すると、今度は純白の塩の平原が見えてきた。かつて塩水湖だった「Bad Water」は、一番低いところで海抜マイナス86メートル、西半球でもっとも海抜が低いところなのだそうだ。
駐車場から数メートル進むだけで白く固い塩が敷き詰められているところを歩けるけれど、トレイルルートになっている道を数百メートル進むと、ますます美しい場所に出られるらしい。てくてく歩いていく人を駐車場のそばから眺めながら、時間もあまりないので先に進もうということになった。
塩の平原にはところどころ水が溜まっていて、
「これは舐めたらどんな味がするんだろう」
「そりゃもう、飽和状態に塩が溶けてるんだろうから滅茶苦茶にしょっぱいんだよ」
と、つい味の想像ばかりをしてしまう私たち。さすがに舐める勇気はなかった。

いざ、Grand Canyon へ

今日の夜は、グランドキャニオン内のロッジに宿の予約をしていた。
「昼頃にデスバレーを出れば大丈夫でしょう」
なんて思っていた私は、甘かった。 「Bad Water」を出たのが12時過ぎ、そこから公園を抜けるまでに、まず1時間近くかかってしまった。"長野県と同じ広さ"という公園のでかさを舐めていた。

デスバレーの最南のゲートを抜け、Shoshoneという小さな町からCalif.127を56マイル南下。Shoshoneで何かお昼御飯を……と思っていたけれど、小さな小さな町でモーテルとガソリンスタンドがあるだけ、みたいなところだった。空腹を抱えてえっさえっさ南下して、ハイウェイ沿いのBakerに到着。ファーストフード店もいくつかあり、
「バーガーキングでいーやー」
「ちゃちゃっと済ませちゃいましょー」
と、バーガーキングに入って"Homestyle Griller"なる二枚重ねハンバーグ入りバーガーをえらい勢いで腹に入れた。レモネードをお代わりし、食べかけのポテトはテイクアウト用の紙袋にざざざっと移して車に積み込み、いざ、東へ。

I-15を東に40マイル、Nev.164を東に32マイル、US 95を南に43マイル、そしてI-40を北東に爆走すること188マイル。多分これが最短じゃないか、というルートを眺めて距離を計算して、ちょっと青ざめた私はハンドルを握るだんなに告げた。
「……あのね、もうすぐI-40の出口26とかだよね(州によって違うけど、出口番号が州境の起点からのマイル数になっているところが多い)。出口は、165なんだ……」
カリフォルニア州から一瞬ネバダ州に入り、アリゾナ州に突入したところで背後からごにょごにょと囁く私。
「え"、まだ150マイル近くあるの?」
「うん、でね、インターステート降りたら、そこから更に60マイルくらいあるの……」
「やばい、やばいよ」
「やっぱり、やばい?」
「宿の着くの、9時過ぎ頃になったりするかもよ」
「ひょえ〜……」

冷静に考えると、Bakerからの総距離363マイルは580km。Bakerで昼食を摂り終えたのは午後2時頃。午後2時からその日の夜までに東京から大阪を目指してみましょう、そんな状況なのだった。
しかもそのBakerまでにも朝から150マイルほどを走ってきている。
「きゃー、だんな、ごめん、ごめんね、ごめんなさい。距離をちょっと甘くみていたよ」
「……うん、でも、まぁ、行くしかないでしょ。……シートベルト、後ろの席でもちゃんとしててね」
「……はい……」

それからのだんなの運転ときたら、「良い子は絶対真似しちゃいけません」てな感じの、具体的に書くのはちょっと憚られるようなものだった。爆走レンタカーだ。
日はどんどん西の彼方に沈んでいく。超高速運転を暗闇でするわけにもいかず、
「夕日、沈んじゃだめー、沈んじゃだめー、もうちょっと耐えてぇぇぇぇ」
と言いながらも太陽から遠ざかる方向に猛スピードで爆走する、という事態になった。
Bakerでいったん満タンにしたガソリンを途中で補給し、無事にインターステートを降りた頃にはさすがに真っ暗。グランドキャニオンへ一直線の州道は、夕日を見て帰ってきたのであろうキャニオンからの車が列をなしていた。今からキャニオンへ入ろうとする車はほとんどいない。

Yavapai Lodge の静かな夜

すっかり暗闇となった道を疾走し疾走し疾走し、グランドキャニオンのゲートを通り抜けたのは午後7時も過ぎた頃だった。
本来、ネバダ州とアリゾナ州の間には時差がある。ラスベガス時間になっている車の時計で午後7時ということは、こちらでは午後8時ということ。それもあって「宿の受付とか、閉まってないかなぁ」と焦っていた私たちだった。が、実際には、現在は時差はなし。現在ネバダ州は夏時間であり、アリゾナ州はその夏時間を導入していない。この季節はラスベガスもグランドキャニオンも同じ時刻なのだった。ああ、良かった良かった、まだ8時前だ。

しかも、宿泊予約をしていた「Yavapai Lodge」はグランドキャニオン内で最も大きいロッジということで(360部屋ほどあるらしい)、受付も余裕で開いていた。食事を食いっぱぐれる覚悟もしていたけれど、幸い8時までオープンしているセルフサービス式のカフェテリアも併設されていた。食事をする人で、カフェテリアはまだまだまだまだ混雑している。私たちも部屋に行く前に食事を済ませてしまうことにした。

メニューはピザにハンバーガー類にスパゲッティ、といかにもなアメリカン。ビールはないか、と冷蔵ケースをあけてみると、バドワイザーとかクアーズのライト(オリジナルはまだ美味しいと思うけど、ライトは苦手……)とか、いまいち好きじゃないものばかり。ちょっとばかりげんなりしながら、ミートソーススパゲティを貰い、更にポテトスープもよそって会計した。スパゲッティには小さなパンもついてくる。

ああ、アメリカ飯だなぁ…… 広い広い食堂、壮年の夫婦やら、学生らしき男女6人ほどのグループやら、ここには多くの日本人がいた。デスバレーでは一組も見かけなかった日本人(そしてその後も、ラスベガス到着まではほとんど見かけなかった)がここにはたくさん。ツアーバスも来ているようだ。これまで人気の少ない荒涼としたところを走ってきた分、「観光地なんだなぁ」と妙に納得してしまう。

アメリカならではの、"アルデンテ?なにそれ"状態のくたくたぐずぐずのスパゲッティ。茹でおいたスパゲティをもう一度湯でゆがいてから皿に乗せてくれるのだけど、水切りが悪くてソースも何だかペショペショに水っぽい。ケチャップとステーキソースの味を合わせたような、なんともジャンクな味のミートソースが、悲しいほど美味しくなかった。
ポテトスープも、「水加えて茹でて、塩入れりゃいいってもんじゃないだろう」的な味気ないものだったし。

アメリカの食事は一般的に「不味い」と言われていて、アメリカ旅行記をインターネットで読んだりすると「とにかくいただけないので和食と中華ばかり食べていた」なんて記述をたまーに見かける。そんなことない、ニューオーリンズは腹が破れそうになるほど旨いものだらけだったし、私の家の近所だって美味しいところが数多い。アメリカ飯だって全然馬鹿にできないよ、と思っていたけれど、こういうところの食事はやっぱりげんなりしてしまう。

ファーストフードやブッフェ料理、セルフサービスのカフェテリアでの食事ばかりの旅行をしていたら、そりゃ「アメリカは不味い」と思っても仕方のないことかもしれない(それはそれで、アメリカ人が日本を旅行してドライブインやファーストフード、ファミレスで食事を続けた挙げ句「日本は不味い」と言ってるような、"ちょっとそれは違うんじゃないかい"的なものだとも思う)。
日本のスキーロッジで食べるカツ丼とかカツカレーがちょっぴり懐かしくなった。

宿は、2階建ての建物に各フロア30部屋ほどが入り、森の中にその棟が点在しているような印象の巨大なものだった。グランドキャニオン内、ここしかロッジが空いていなかったのも頷けたほどの大きさだ。
ダブルベッドが2つ、シンプルなチェスト、シンプルなバスルーム。ネイティブアメリカンの織物の模様のようなベッドカバーのかかるベッドの上には、グランドキャニオンのイラストが飾られている。宿泊者は多そうだけど、非常に静か。夜がふけるにつれて、シンシンと寒くなっていく。
テレビはあったけれど、電話はついていなかった。日課としているWeb日記の更新は、昨日に続いて今日もどうやら不可能なようだ。

昨日は入らなかったお風呂、今日は湯船に入れるかなと思っていたけどショボショボとしか出ないシャワーの水量に、シャワーのみの簡単な入浴に。
心配していた息子の熱も、どうやら平熱近くに下がったままで一安心。食欲が今ひとつ無いのだけが気になったけれど本人は元気に歩いているし、外で遊びたがっているくらいなので大丈夫だろう。

明日は早起きして、キャニオンの朝日を眺めに行く予定。